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これまでの小田豊四郎賞受賞者のご紹介



 第1回 三友牧場 三友盛行


<受賞の言葉>
 私は、北海道での牧場経営に憧れ、昭和43年に入植。無我夢中で10年が過ぎた頃、ふと隣の防風林に目をやると「今更、木を植えて何になるのか、、、」と思っていた木が大きく育っていました。改めて木の素晴らしさに気付くと同時に、過ぎ去った10年の重みを実感しました。木を植える事は私の人生の大きな命題です。木を植えて、今回頂いたブロンズ像が示すような、たおやかな農村社会を作りたい。その農村社会に支えられた食文化、地域を大切にしたい。
 生き方=生産、だけではなく暮らしぶりです。その中心にあるのが「食」です。では、牛乳から何が出来るかと考えていた時にチーズづくりと出会いました。私は平凡な酪農家です。言ってみれば路傍の石です。その路傍の石に光を当てた小田賞の第1回の意義を深く受け止め、これからの行動に活かして生きたいと思っています。


<選考委員>
東京農業大学教授・農学博士 小泉武夫

<選考理由>
 乳牛が、のびのびと生きられる飼育法や環境に原点を置き、牛乳生産酪農の基盤を貫いて、多くの酪農家に牛乳生産の本道を示していること。
 牛の排泄する糞尿等を発酵させて肥沃な土に戻し、それで乳牛にとってふさわしい理想的な牧草を得、早くから環境問題の解決と資源循環型酪農の見本をつくり上げると共に成功させたこと。
 また、自ら生産した良質の牛乳の一部を妻と共に加工製品として極上のチーズを製造、その製品が国内外から大きく評価されている実績。

(敬称略)



 第2回 佐藤水産株式会社


 <受賞の言葉>
 鮭のロマンに魅せられ、研究に明け暮れていた父の後ろ姿をずっと見て来ました。現在、日本人が食べる鮭五十万トンの半分は養殖です。北海道産の鮭は全体の四分の一にしか過ぎません。「脂がない。焼くと白くなる」と敬遠される傾向にあります。山のように高く積み上げ、その重みで熟成させる昔ながらの製法を継承しつつ、現代人の嗜好に合うように研究を重ねた昔風「山漬」など、伝統的な商品も大切にしながら、新たな加工技術の開発に今後も励んで参りたいと思っております。
 この度、北海道産の安全な鮭を守り続けて行きたいという一念を評価頂き心から感謝しております。
(代表取締役 佐藤壽)


<選考委員>
作家 嵐山光三郎

<選考理由>
 私が考えた選考基準は三点。第一に北海道の開拓精神がある事。第二、食材に対する工夫と努力がある事。第三に、当たり前ですが、食べておいしい事です。
 札幌からの帰り、千歳空港売店で佐藤水産のおむすびを食べました。飯粒の手元までぎっしりと詰まっている具は、佐藤水産特製天然鮭の「山漬」。「やっぱりこれだ」と思いました。鮭やにしんなどを使い、様々な工夫、努力がなされている点も大きく評価しました。創業者・佐藤三男氏が一生懸命築き上げてこられた伝統を次世代が積んで行く、北海道の食文化を支える要因の一つです。

(敬称略


 第3回 有限会社アドナイ 堤田克彦


<受賞の言葉>
 
私は、アドナイを経営する前はサラリーマンをやっていました。その頃から既にチーズは作っていましたので、チーズ作りを仕事にしたいという思いはあったと思いますが、計画的に始めたのでも、熱意をもって始めたのでもありません。牛舎の片隅を改造した六畳ほどの場所で、スイスから取り寄せた銅鍋を下からガスの火であぶり殺菌をしてチーズを作っていました。教えられたものではなく、自分の手の感触、置かれた環境の中で、どうすればチーズができるのか、試行錯誤を繰り返して今があります。
 現在は長男もチーズ作りに参加してくれていますが、私より安定したチーズを作ってくれていますので、私の仕事はもっぱら大工仕事です。こういう風に代を重ねて続いて根付いて行く。これがアドナイのチーズ作りだと思います。



<選考委員>
エッセイスト・CMプロデューサー 檀太郎

<選考理由>
 初めて堤田さんのチーズを味わったのは、妻の友人が送ってくれた時でした。このチーズ本当に国産なのか、というのが第一印象です。何度か堤田さんのチーズを取り寄せて食べるうちに、一度堤田さんがチーズを作っている姿を見てみたいという思いが募り、三年前に思い切って訪ねてみました。
 堤田さんは常々「チーズの元は乳である」と言っておられます。美味しいチーズを作る為にも、将来は牛を自分の手で育てたいと、昨年からスイスブランを飼い始められました。驚いたのは、マイナス20度でも外に放りっぱなしです。「量は少ないけれど、その方がいい乳が出る」と堤田さんは断言されています。堤田さんのチーズ作りの歴史は、今始まったばかりです。更に素晴らしいチーズ作りを目指して頂く為にも、今回の受賞はよいきっかけと励ましになるのではないかと考えます。

(敬称略)



 第4回 有限会社天心農場 北川光夫

<受賞の言葉>
 農業は土を育てて、緑を育てる。緑は新しい空気を作っています。これが農業の一番目の仕事です。豊かな土を通して綺麗な水を作る、これが二番目の仕事。そして三番目は食べ物を作る仕事です。
 この三つの仕事をしていながら、農家の人が貧乏をしているのは三番目の「食べ物を作る」仕事の分のお金しかもらっていないからです。空気を作ったり、水を作ったりするのはボランティアです。ボランティアというのは神様の仕事。農家の仕事というのは神様の代わりに仕事をしているのです。だから私の農場は「天心農場」という名前にしました。
 わたしはいままで喜ばれる野菜を作りたいと思ってやって参りました。「おいしかったな」という一言が農家にとってどれだけ喜ばしいものか、最高の贈り物なのです。


<選考委員>
小林亜星

<選考理由>
 ホワイトアスパラが北川さんとの出会いです。私は紀伊国屋のホワイトアスパラが日本一だと思い食べていました。そのホワイトアスパラを二十年前から卸していたのが、この北川さんだったのです。
 京都の朝掘り筍のように、ヨーロッパの人にとってはその時期だけのホワイトアスパラが人生最高の楽しみなのです。一年の生きる喜びなのです。こういうおいしいアスパラを日本でも楽しめるようになりたい。そのような想いから選考いたしました。


(敬称略)


 第5回 ジンギスカン「白樺」 佐久間俊男

<受賞の言葉>
 私供の白樺ジンギスカンは昭和32年の創業です。当時は、農家の方々が行事で集まる度に、羊を自分たちで解体し、羊肉独特の臭みがある事からタレに様々な工夫をし食べていました。ほとんど娯楽と言えるものがなかった時代ですから、羊の鍋を囲み世間話から今後の営農や地域の未来を語る、楽しみの場であったと聞いています。
 創業50年に至り、現在の私の心境は簡潔明瞭、単純明快が大事だということです。自分で決めた一つのことを追い続けていくうちに自信めいたものが芽生えます。こだわりです。タレへのこだわりはリンゴです。主な材料となるリンゴは青森産の富士を使い、昔ながらの手作業で加工しています。さらには鍋です。肉を最高の状態で味わって頂くために南部鍋を使用しています。こうして昔ながらの味を今後につなげていきたいと思っています。
 これからも忘れられない十勝の味を目指し精進します。更に地域社会のために微力を尽くす覚悟でおります。本日はありがとうございました。


<選考委員>
藤原作弥

<選考理由>
 
本職は新聞記者でしたので、調べることが大好きです。今回もジャーナリズム精神を発揮して、北海道の食文化について私なりに調べて歩きました。足で歩いてメモをしました。数件の候補がありましたがその中から取材の結果、「これだ」と思って白羽の矢を立てたのが佐久間さんの「白樺」でした。取材とは何か。何を隠そう「食べる」ことです。食べてみておいしかった、それが選考の経過です。
 ジンギスカンというのはチンギスハーンであり、私の憧れの英雄です。モンゴルは衣食住すべて羊で賄います。主食は米でも麦でもなく、羊です。しかし日本のジンギスカン料理というのは日本人が作って、日本人が命名したものです。日本中にジンギスカン料理の店は数多くありますが、味付けこそはその店オリジナルのものです。白樺の味付けの秘訣はタレにあるようです。そしてもうひとつは、玉ねぎ。普通ジンギスカンの野菜というとジャガイモ、ピーマン、ニンジンなどです。佐久間さんのところは南部鉄の鍋の上で、タレのついた肉を焼いて、その後は玉ねぎだけ。玉ねぎは、羊との水分の調和の相性が良く、玉ねぎに味が染み込みます。ジンギスカンとご飯とお味噌汁とおしんこ。食べただけで天国に上るような気持ちになりました。今日は本当におめでとうございました。


(敬称略)


 第6回 「風のささやき」

農業生産法人 西神楽夢民村 代表取締役 島秀久

■高砂酒造株式会社


<受賞の言葉>
西神楽夢民村  島秀久

 この「風のささやき」は8年前、ただ自分で旨い酒を飲みたいという気持ちで始めました。それまでもそれなりに拘って主食用の米づくりをしていたのですが、酒米づくりは初めての挑戦でした。そのお酒がここまで成長したのはいくつかの要因があると思います。
 ひとつには「吟風」のお酒適性がとてもよかったこと。それと日本酒はワインと違い2工程ですので、原料のお米というより杜氏の力、高砂酒造さんの力はやはり凄かったと思います。そしてもうひとつは「風のささやき」という名前をつけてくれた、旭川市の居酒屋独酌三四郎の女将・西岡さん。農・工・商連携の商を担ってくれました。この三者の連携と熱い思いがここまで来たのだと思います。
 「風のささやき」は地元の米で地元の高砂酒造さんの蔵で出来た地酒です。そんな「風のささやき」を僕は世の中で一番美味しい酒と思い毎晩飲んでいます。
 夢民村は、農家が集まってお客様を相手に直接販売などしていますが、一般農業者から見るとそんな面倒くさいことをやらなくてもと、いわば地域の異端児扱いなのです。でも、今日こうして「小田賞」をいただけるというのは、ぼくらの活動も間違っていないと確信しました。これからもこの賞を励みに、賞に恥じないように頑張っていきたいと思います。


<選考委員>
田勢康弘

<選考理由>
 3月の中旬、雪の中を旭川市西神楽の夢民村を訪問いたしました。雪以外には何も見えないようなところでした。この夢民村では「吟風」という酒造好適米を作っています。その米と大雪の伏流水とそして旭川の酒蔵で自分たちのお酒を造りたいという夢が実現したのが「風のささやき」という名前のお酒です。
 高砂酒造の酒蔵で私は、しぼったばかりのお酒をひしゃくにすくって味わいました。ほんとうに上品な果物の味がしました。いくらでも飲めそうに思いました。ひしゃくに3分の1ほど飲んだでしょうか。
 しばらくしてくらくらしてきました。私はまったくの下戸で、お酒を飲んだことはないのです。でもおいしいと思いましたし、私は大変間違った人生を過ごしてきたのではないかと思ったほどでした。
 風のささやき、という言葉の美しさ。ラベルに貼られた字のすばらしさ。空になった酒瓶にななかまどの真っ赤な実を飾ったら、さぞ素敵なことでしょう。オオバナノエンレイソウの咲く季節に、ふたたび北の大地を訪れることが出来た幸せをかみ締めております。夢民村のみなさま、高砂酒造のみなさま、おめでとうございました。


(敬称略)


 第7回 高橋農園 高橋晃・美智子夫妻

<受賞の言葉>
 美瑛町・藤野にある4haの畑で、馬鈴薯や米、そして100種類以上の野菜を生産しています。美瑛を訪れる観光客の方、そしてそこで宿を営む方たちのために、美瑛ならではの「おいしい野菜」を作っていきたいと考え、約10年前、本格的に野菜作りに取り組み始めました。
 美瑛町農協が設立した農産物直営所「美瑛選果」に、中道シェフが運営するレストラン・アスペルジュがあります。そこの野菜作りをお手伝いすることになり、私たちの野菜作りの考え方は大きく変わりました。中道シェフにはフランス視察でも様々な所を案内していただき、そこで生産者が自ら店頭に立ち、消費者に商品を説明しながら販売する、マルシェに興味を持ちました。帰国後、美瑛町農協を中心に美瑛版マルシェを開催することとなり、そこでの消費者との交流が野菜作りのヒントとなり、活力となっております。
 小規模だからこそできる、私たちのような農業の有り方が北海道農業の一つとなりうると、今回の受賞を通じて確信いたしました。この取り組みを後世に引継いでいけるように努力していきたいと思います。


<選考委員>
津田廣喜

<選考理由>
 レストラン・アスペルジュには「美瑛の畑20種類の野菜の盛り合わせ」というメニューがあり、私も食べてみました。ここでの野菜は全て高橋さんの畑から供給されたもので、大変美味しいものでした。
 高橋さんの畑にお邪魔して驚きました。毎日夜になると、翌日使う食材の種類と量が記載された何十枚もの注文書がFAXで届きます。翌朝はそれを基に、日が昇る前から畑に出て一つ一つの食材を揃え、レストランの方が来るのを待っているわけです。最盛期になると野菜を取りに来る車が列をなし「高橋さんのところは法事でもあるのか」と言われるくらい車が並ぶそうです。
 畑で採りたてを頂くとトマトの美味しさなどは、他所では味わえないものでありました。私も北海道の田舎で育ち、子どもの頃からジャガイモはたくさん食べていますが、あんなに美味しいジャガイモも食べたことはありませんでした。高校生以来、実に40年振りにグスベリを口にできたのも嬉しい出来事でありました。
 今後は後継者のことが問題になるだろうと思います。美瑛の町の発展維持のためにも、高橋さんの活動が引継がれていきますよう、応援団として願っております。

(敬称略)


 第8回 野矢農場 野矢敏章

<受賞の言葉>
 私は昭和43年に上川の東川町で酪農を始めました。ところが、田中角栄元首相の提唱した日本列島改造論が巻き起こり、私の牧場の周り一帯がゴルフ場用地に買収されてしまいます。しばらくは抵抗していたんですが、村社会の中で村八分になりまして。土地を売り渡し、大根屋になりました。
 そんな中で、たまたま京都の方が「お前のところの大根はなかなか行けるぞ」と。日本の野菜の中心は京都ですから、京都で認められれば全国で認められる。野菜の一番である蕪を勉強して一人前にできるようになれば、大根ができるようになる。それで京都へ蕪の勉強に行きました。最初は農家に教えを乞うてもサラリとかわされてしまう。3年くらい経つと「お前本気だな」とやっと蕪の作り方の真髄を教えてくれました。良いものができるのに7年かかりました。
 京都市場で夏場1番人気なのは十勝の豊頃産。ところが不思議なことに、農家の人も指導者の人も技術レベルは高くない。そのとき思いました、『適地適作』だと。それで僕は、更別村に入植しました。こちらに来て20年の節目にこんな賞を頂き、本当に名誉なことと思います。


<選考委員>
フリーアナウンサー 中井美穂

<選考理由>
 2010年10月の初めに取材に伺いまして農場を見せて頂きました。大根を一本一本手で抜いて、袋に入れて、洗って、並べて出荷する。一連の作業の流れは茶道の精神性をイメージしたと仰っていましたが、非常に効率的ですし、美しく無駄がありません。また、むやみに機械化するのではなく、お互いの顔を見ながら、コミュニケーションを交わしながら大根を育て、消費者の下に届けていく。その時、若い人たちには、大根にかけたご自分の思いを一緒に味わって欲しいし、同じような気持ちで向き合って欲しいと野矢さんは仰っておられました。そんな思いが伝わっているからこそ、あの畑作業には人の輪を感じさせるものがあったのだと思います。
 今までは主に関西方面に大根を出荷されていましたが、今年度からは地元のデパートと一部スーパーマーケットにも出て、皆様のお手元にも届くことになると伺いました。是非、百聞は一見に如かずと言いますが、ひと口、ふた口‥、あっと言う間に召し上がれるような美しく、白く甘く優しく、梨のようにシャリシャリとした野矢大根を皆様にも召し上がって頂きたいと思います。

(敬称略)


 第9回 茶路めん羊牧場 武藤浩史

<受賞の言葉>
 何で羊なのかと問われると一言で答えるのは難しいのですが、羊というキーワードから拡がるわくわくするような発見や出会いが尽きないからでしょう。羊と人類の繋がりの歴史や羊の織り成す衣食住など、調べるほどに深遠で摩訶不思議な羊をめぐる冒険の世界へとどんどん引き込まれていったのです。そして何よりもその道程で出会う人々との関わりが面白いのです。
 羊は昭和30年代前半に既に完全自由化されていて、その結果当時全国100万頭いた羊は10年後に1万頭に激減し、壊滅寸前となりました。TPPは家庭の食卓へ直結するものであり、日常の食卓で家庭の味といえる料理を囲んで語り合えば、自ずと答えが出てくるのではないでしょうか。

 現在日本の羊肉の自給率はわずか5%に過ぎません。私がこれから数十年羊飼いを続けたとしても、自給率が10%20%と増加するように何かを大きく変えられるとは思いません。それでも、1%でも羊がこの地に残るということが大切なことのように思います。いつか時が流れて、茶路川の畔の緑の草原に点在する白い羊たちがそこにあるべくして存在する、そんな風景に溶け込む羊を育てることが夢です。



<選考委員>
林真理子

<選考理由>
 武藤さんの牧場に参りましたのは、昨年12月でした。牧場では11月に生れたばかりの可愛い子羊ちゃんたちがいて、それを見たらもう羊は食べられないと思ったのですが、武藤さんはそういう思いもちゃんとわかっておられて、羊からの恵みを余すことなく、無駄にしないという経営方針で飼育しておられます。武藤さんのところの羊たちは、みんな幸せそうな顔をしていました。愛情をもって、健康な羊に育てる努力をされているからだろうと思いました。
 わたしが東京で行くレストラン「ル・ゴロワ」さんで羊肉を頂いた時に、全く臭みもなく非常に美味しいと感じました。お店で出しているお肉が、武藤さんの生産された羊肉だと知り、羊肉に対する概念が変わりました。このように、武藤さんは、ご自分で育てた羊肉をたくさんの人に食べてもらいたい。羊肉の美味しさを知ってもらいたいと、ご自分で流通経路を模索し、販路を広げる努力を重ねておられます。
 武藤さんが夢見ておられる茶路種がいつか誕生することを祈念して、選考経過のご報告とさせて頂きます。武藤さん、そしてご家族の皆様本当におめでとうございました。

(敬称略)


 第10回 三友牧場チーズ工房 三友由美子

<受賞の言葉>
 私は21歳の時に「愛する人と、愛する土地で、愛する仕事をしたい」という夫のプロポーズに惹かれて津軽海峡を渡ってまいりました。入植した当時から、中標津には牛乳がたくさんありながら、「食」をとりまく環境がとても乏しいと感じておりました。いつかこの酪農の里に相応しい食文化を育てたいと心から思いました。それから間もなくして、ここ十勝からチーズの研修旅行に行くというお話があり、誘われてフランスへ行き、そのとき初めて、「乳の食文化」に触れました。それは決して豊かではなく、魚も貝も何もない中でパンとチーズとワインを家族で楽しむという、そんな食卓でした。これは道東の漁師さんたちがアキアジ鍋を囲んで、どんぶりに一杯のイクラを食べるのと同じような食文化なのかなと感じました。
 帰って来てすぐに、私は小さな工房を建てチーズを作り始めました。私の住む俵橋の僻地校で、チーズ学習を行っています。去年は、「おばさんはチーズを作っていますが、これはグルメのためではなく、これを売ってお金を得るためでもなく、こんなにミルクがたくさんある酪農地帯の食文化なんですよ。だから、この酪農地帯に住んでいる皆さんとおばさんは、日本で一番美味しいチーズを食べましょう」というお話をして、工房で子どもたちとチーズを作りました。
私はもうすぐ68歳になります。終わりに向かって生きているような、そんな感じがこの頃ありましたが、もう少し光の中を歩んでみたい、この賞を頂いてそんな気になりました。



<選考委員>
三枝成彰

<選考理由>
 私は食通ではありませんが、年間350日くらい外食で、30年から40年続けていますので、食べ物に対して好き嫌いがはっきりしています。それは何かというと、あまり個性のある食べ物は好きではありません。長い間食べていますと、個性を排除していくのですね。チーズも個性が強いウォッシュ系のものはあまり好みません。ところが今回1年半物か2年物の「山のチーズ」を頂いたときに、これはすごいと思いました。やはり日本が生んだチーズだと思います。外国で修行なさったのでしょうが、外国人の味覚と我々の味覚は全く違うので、世界で最高にこの日本という国は水が良いということが大きな要因だと思います。
 三友さんの牛乳を飲んだことがないので、一度飲んでみたいなと思っています。また、ぜひこのチーズを自宅に常備したいです。私の場合、チーズを食べるのは夜で、寝る前に齧ってウィスキーを飲むというのが好きです。やっぱり日本のチーズは繊細で個性がなくて、押し付けがましいことが全くないですね。三友さんは本当に素晴らしいチーズをお作りになっています。誠におめでとうございました。


(敬称略)


 第11回 ホクトフーズコーポレーション 野沢寛夫

<受賞の言葉>
 わたくしはピエモンテの中にあります人口6000人の小さな村におります。村に800年前に建てられましたお城がありますが、その中に世界からイタリアの郷土料理を学びに来るプロのための技術力を向上させるNPOの学校があります。対象はイタリア人の側から見て外国人にあたる人たち、つまり我々日本人ですとか、ブラジルの人です。その学校に勤務して22年が経ちました。
 イタリア人の年間平均の肉の消費量は100キロです。我々日本人は、46キロ、その倍以上の肉を食べているわけです。主食であるパン屋さんと肉屋さんは、人口800人に一軒の割合で存在しています。わたくしがこのサルシッチャ*を北海道で作ろうと思いました、その一番大きな元は、イタリア料理の認知が高まってレストランも増えて行く中で、サルシッチャがほとんど日本に知られていないという事実です。
 昨年、一昨年と室蘭で夏を過ごし、野菜が畑に巻き込まれているという現状をこの目で見ました。イタリアで培ってきた調理技術というものが、何とかこの場で利用できないかと強く感じました。今後は、サルシッチャ、パンチェッタ、ラルド…豚肉の加工品を日本の将来を背負う子どもたちに給食として食べてもらう道はないか模索するのと同時に、豚肉の利用とともに培ってきたイタリアの調理技術を利用できるように頑張っていきたいと思います。
*サルシッチャ 燻煙をかけないイタリアン・ソーセージ


<選考委員>
團紀彦

<選考理由>
 ホクトフーズさんは少しシャッターが目立つ室蘭の街並みの中で、元銀行であったところを工場にされていました。会長の野沢寛夫さんはイタリアと室蘭を頻繁に往復し、『サルシッチャ』のルーツを北海道でさらに発展させようと取り組んでおられます。その姿勢に大変感銘を受けまして、選ばせていただいた次第です。
 また私は、食の世界の方が建築デザインの文化より進んでいるのではないかと思っております。と言いますのは、食の場合は一人ひとりが批評家になれるところがあって、また、批評をする一人ひとりもたくさんの知識を持っています。
 選考に当たりまして、いくつか素晴らしい製造者さんのところへ行きました。しかし、やはりプロとして一生懸命取り組んでいる…今回は、プロとして前向きに取り組んでいて、また、食の向こうには、おそらくローマ軍がこの『サルシッチャ』を背中に担いで行軍したであろう時代まで歴史をひも解きながら研究されているのではないか、そんな風に思いまして、ホクトフーズさんに賞を差し上げたいと思いました。今日は本当におめでとうございました。


(敬称略)


 第12回 野村商店 野村佳寿

<受賞の言葉>
 約60年前に始めた野村養殖場は私で3代目となります。前例のないヒメマスの養殖に初めて着手したのが私の祖父、そして難しいと言われたヒメマスの養殖を成功させたのが私の父になります。
 ヒメマスは紅鮭の陸封魚で、低温で清流にしか生息しない魚です。獲れる時期や獲れる場所、そして高級魚であるためなかなか身近に食べることができない魚です。有名店で使って頂けるのも非常にうれしいことなのですが、それとは別にもっと気軽に美味しさを知って頂きたいという私どもの願いもあります。そこで始めたのが燻製やいろり焼きという加工品です。当初はほとんど売れませんでした。最近ではヒメマスのおいしさを多少なりとも広めることができるようになってきました。
 まだまだヒメマスのの知名度も私たちの知名度も低い中で、このような賞を頂き大きな力となりました。この賞に恥じないよう、多くの皆様にヒメマスの美味しさを知って頂けるよう努力していきたいと思います。


<選考委員>
酒井忠康

<選考理由>
  世の中はどんどん文明化されていると思います。野性の本当の意味を僕たちは忘れかけているのではないかと考えています。H・D・ソロウ「森の生活」の中で書いている言葉に「どんな文明でも耐えられない野性」とある。いかなる文明でも野性には敵わないと野性の凄さを言ってるんです。ここまでは良かったんですが、人間の知恵が発達して野性をコントロールするようになってきました。ゲーリー・スナイダーというアメリカの詩人は、これに異を唱えました。『野生の実践』という本の中で、野生が耐える事の出来る文明を探すことのほうがはるかに難しい時代になってきた、つまり野性がなくなってしまって探すほうが難しいということを言っているのです。スナイダーは文化それ自体に野性の境界線がある、という感じ方に自分は興味があると語っています。
 僕は野村さんのヒメマスの現場に立った時、何か知らないけれどそういった文明化された僕たちの生活の中に「ああ隠れた野性があった」という喜びに気付きました。そんなわけで今回野村商店を選考しました。皆さんにはこれからも野村商店を応援して頂ければ大変嬉しく思います。


(敬称略)


歴代受賞者の商品を購入するには・・・
1  三友牧場 http://mitomo-cheese.com/
2  佐藤水産 http://www.sato-suisan.co.jp/
3  アドナイチーズ工房 http://www.kita-g.jp/shopping/a0070/
4  天心農場 http://www.kamikawa.pref.hokkaido.lg.jp/ss/srk/051_tamanegi.htm
5  白樺ジンギスカン TEL 0155-60-2058 *肉の地方発送あります

http://www.rokkatei.co.jp/facilities/campana/index.html
カンパーナ六花亭にも店舗が併設しています。
  西神楽夢民村


   高砂酒造株式会社

http://www.muminmura.com/
旭川市と美瑛に隣接する国道237号沿いの純農業地帯・西神楽で米づくりや野菜づくりを営む農業者集団です。

http://www.takasagoshuzo.com/
北海道大雪山の雪清水でこだわりの酒を育む創業百余年の酒蔵です。
  高橋農園 高橋さんの野菜は、レストラン・アスペルジュで味わえます。
http://www.biei-asperges.com/
  野矢農場 http://www.natural-cheese.jp/shop/sarabetu.html

野矢大根は秋になると、
藤丸百貨店http://www.fujimaru.co.jp/
食品スーパーマーケットダイイチhttp://www.daiichi-d.co.jp/
にてお買い求めいただけます。
  茶路めん羊牧場 http://charomen.com/
10 三友牧場チーズ工房 TEL 0153-78-7200 *通信販売は終了されました
11 ホクトフーズコーポレーション http://hokutofoods.co.jp/
12 野村商店 http://www.ne.jp/asahi/himemasu/hokkaido/


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