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エッセー集「忘れられない北のあの味」




北海道の食および食文化の発展に寄与した個人
または団体を顕彰する事業「小田賞」。

任期1年の選考委員の厳選なる審査によって
候補のなかから、小田賞が選ばれます。

第8回目の今年は5月22日
帯広にて贈呈式が行われました。




 第8回 小田賞受賞者 

野矢農場  野矢 敏章 様







野矢農場  野矢 敏章 様
 私は昭和43年に江別市の農業高校を卒業しまして、上川の東川町で酪農を始めました。ところが、始めて5、6年経った頃でしょうか。田中角栄元首相の提唱した日本列島改造論が巻き起こりまして、私の牧場の周り一帯がゴルフ場用地に買収されてしまいました。村の発展のために、お前も酪農をやめてゴルフ場にせよ、と言われました。

 僕はせっかく酪農をやりたくてやっているのに、冗談ではない。どこか代替地を…という話をしましたが、連日議員さんから「売って欲しい」と言われ、農協までもが「酪農をやってても、うだつがあがらないぞ。ましてや今の時代、酪農をやっていて嫁さんが来ると思っているのか」と…。

 しばらくは抵抗をしていたんですが、村社会の中で村八分になりまして、段々追い詰められてしまいました。すると父親がノイローゼぎみになってきました。僕は酪農をやるにおいて学校で先生方から、農業は人類の食料を生産する神聖な商売だ、という理想論は聞いていましたけれど、何ぼ理想論を振りかざしても家庭が崩壊しては仕方がない。

 そこで僕は土地を売り渡し、酪農をキッパリやめて大根屋になりました。その後石油ショックが来まして、列等改造論も頓挫してしまった。ところが、村の発展を阻害した反逆者という看板だけが残ってしまいました。それからは大根を作って農協の中でやっていたのですけれども、やはり農協がやりやすいような農家は有利販売。たてついた農家は不利。私はそのとき大根部会長をしてまして、部会でも主張する、農協の総会でも言うもんだから、とうとう裁判所から差し押さえの通知が来ました。訳が分からず、こちらも損害賠償を裁判所に訴え、三年間裁判をやりました。

 そのまま農協とやって行く訳には行かない。自分でやって行かなければならない訳です。そんな中で僕は何をしたかと言うと、たまたま京都の方が「お前のところの大根はなかなか行けるぞ。お前のところの大根はスーパーで売ってもいつまでも新鮮だ。お前のところの大根は漬物屋でも漬けられる」と。京都の漬物は最高規格の物を使います。日本で最高の大根をつくろう。京都には千年の都の食文化があります。日本の野菜の中心は京都ですから、京都で認められれば全国で認められる。


 野菜の一番は大根でなく蕪だそうです。東京の太田市場の野菜売り場は蕪を象ったマークが屋根についています。蕪を勉強して蕪を一人前にできるようになれば、蕪、大根、白菜、キャベツができるようになる。それで京都へ蕪の勉強に行ったのです。

 京都の農家に行って教えを乞うてもサラリとかわされてしまう。京都ってこんなものかなと。又行くと、ちょっとだけ相手にしてくれる。また次の年に行く。3年くらい経つと「お前本気だな」とやっと蕪の作り方の真髄を教えてくれました。その5年ほど前から蕪を作っていたのですが、なかなかうまく出来ない。見た目はいい蕪ですがスがはいっている。その次はスは入らないけど腐る。良いものができるのに7年かかりました。

※ ス(鬆)とは、大根・牛蒡などの心に多くの細い孔を生じた部分のことをいいます。

 丁度、NHKの朝の連続テレビ「京ふたり」というドラマをやっていましたその年の秋は、週1回定期便のように台風が西日本を襲い、京都の蕪に被害が出ました。そこで私の蕪がずっと利用されていたのです。僕は京都で褒められる蕪が出来たことが、とても嬉しかった。

 蕪も出来た、大根も出来た。けれど、大根にもっといい産地はどこだろう?
京都市場で夏場1番人気なのは十勝の豊頃産。ところが不思議なことに、農家の人も指導者の人も技術レベルは高くない。でも畑を見るといい大根なんです。そのとき思いました、『適地適作』だと。農家の人は言いました、「京都市場の人で、東川にいい大根を作る人がいるらしい」と。これは僕のことだな…。それで僕はゲリラ的に、更別村に入植することを計画しました。そのときに太田原先生に、「お前は性格的にも十勝が合っている」と言われました。

 こちらに来て今年丁度二十年になります。この二十年の節目にこんな賞を頂き本当に名誉なことと思います。ありがとうございます。

野矢農場
(十勝・更別村)
上川管内・東川町で大根づくりを始める。
野菜の本場・京都で蕪づくりを学んだのち、
適地適作を実践すべく、十勝・更別村に入植。
現在、30ヘクタールの畑で、大根づくり一筋。
スタッフと向き合っての作業を大切にしている。




選考委員  中井 美穂 様 
 昨年、十月の初めに取材に伺いまして農場を見せて頂きました。大根を一本一本手で抜いて、袋に入れて、洗って、並べて出荷する。一連の作業の流れは茶道の精神性をイメージしたと仰っていましたが、非常に効率的ですし、美しく無駄がありません。また、むやみに機械化をするのではなく、お互いの顔を見ながら「今日はちょっと元気がないな…」とか「何か悩みがあるのではないだろうか」とコミュニケーションを交わしながら大根を育て、消費者の下に届けて行く。その時、若い人たちには、大根にかけたご自分の思いを一緒に味わって欲しいし、同じような気持ちで向き合って欲しいと野矢さんは仰っておられました。そんな思いが伝わっているからこそ、あの畑作業には人の輪を感じさせるものがあったのだと思います。

 ここで皆さんに野矢さんの大根を召し上がっていただけないのが残念ですが、本当にビックリいたしました。大根てこんな味だったかしら、と思うような食感と水分と甘さでした。私は関東の出身なので、お大根はたくさん食べて来た方ですが、今まで食べて来た大根とはずいぶん違いました。

 今までは主に関西方面に大根を出荷されていましたが、今年度からは地元のデパートと一部スーパーマーケットにも出て、皆様のお手元にも届くことになると伺いました。是非、百聞は一見に如かずと言いますが、ひと口、ふた口…、あっと言う間に召し上がれるような美しく、白く甘く優しく、梨のようにシャリシャリとした野矢大根を皆様にも召し上がって頂きたいと思います。更に、野矢さんは2005年からチーズづくりにも挑戦をされていらっしゃいます。こちらも是非召し上がっていただく機会がありましたらと思っております。



中井 美穂
東京都出身(アメリカ合衆国・ロサンゼルス生まれ)。
日本大学芸術学部放送学科卒業後、フジテレビに入社。
1988年、深夜のスポーツニュース番組「プロ野球ニュース」の
番組初の女性メインキャスターを務めた。
現在はフリーアナウンサーとして、
司会ばかりでなく、コメンテーターとしても活躍。




推薦者  太田原 高昭 様
 野矢さんにいろんなことがあって上川から十勝に出て来るというとき、「野矢さんの気性に一番合っているのは十勝だ。あなたは十勝に行くしかない」という事を申し上げた記憶があります。それで、一作か二作作られた頃だと思うのですが、野矢さんから「十勝に来て正解だった。私の気性だけでなく、この自然の気象も大根づくりに合っている」と。それまでの土地では努力してもなかなか届かなかった理想の大根が十勝では出来るという確信を得た、とこういう話をしておられ、大変嬉しく思いました。

 大根というのは大変ありふれた野菜ですが、京都、名古屋、東京の人は、夏暑い時は焼き魚にはどうしても大根おろしがないとダメなんですね。ところが、向こうの気候では夏に大根を作るとスが通ってしまってぜんぜんダメです。ですから昔から大根の産地は長野県などの標高千メートル以上の土地、いわゆる高原野菜です。そういうところで生産していたのですが、大根ばかり作るわけですから連作障害で産地がダメになってしまう。それで大根の産地が北へ北へと移って、ついに北海道に上陸するというその経過を私たちは専門ですので色々と観察をして参りました。北海道は広いので連作障害もなく、平場で先ほどビデオで紹介されていたように素晴らしい大根が出来る、向こうの人にはびっくりです。夏にこんなにいい大根が出来るのか、そういう意味では野菜産地としての北海道の宣伝マンの役割を大根が果たしたのではないか。それが突破口になって、北海道の野菜と言えば、昔からイモ、玉ねぎ、カボチャという保存性の野菜が有名でしたが、今では生鮮野菜でも全国一の産地になりました。その突破口が大根だったと私は思っております。それで、北海道の中でも産地移動があり、今では十勝、中標津や根室まで大根の産地になっている。この道東の大根生産は野矢さんがパイオニアだったのではないか。豊頃の農協が同時期にやっていましたが、大変なパイオニアの役割を果たされて、これも中井選考委員長からお話がありましたが、工夫に工夫を重ねて拘るところは拘って、しかも大面積で生産する。素晴らしい実績を築いて参りました。

 昨日、久しぶりに野矢農場に行きましたが、野矢さんは素晴らしい経営者であるだけでなく、家族を大事にして生活を楽しんでいて、農村でしか実現しない理想の生活をされている人だと私は思っております。余談ですが、かわいいお孫さんが二人おられまして、お嬢さんの名前が六花さんと言います。偶然ではありますが、六月に生まれた花のようにかわいいお嬢さんです。







当基金理事長  小田 豊
 今から二十五年ほど前だったと思いますが、私が青年会議所活動をやっている時、斜里町の農業生産者の方から「実は僕の所で蕪を作っていて、京都に送っている」という話を聞きました。当時、京野菜は周辺で採れたものとばかり思っていましたけれど、北海道からも送っているという事を初めて知った訳です。その彼が「もう京都の人は商品にうるさくてね。傷は勿論のこと、魚以上に鮮度に厳しい」という話も聞きました。なるほど京都の人というのは、こういう価値観で物を考えているのかと感じたことを改めて思い出します。丁度、野矢さんも『小田賞』の候補の一つとしてお話を伺いましたら、やはり生産された大根の殆どが関西方面に出荷されていました。

 日本海の若狭で捕れた鯖を糠漬けにした保存食の「へしこ」。いかにも昔からの味のような顔をしていますが、実は若狭から来ているわけです。蕪も然り、鯖も然り。どうして京都でこの様なものが根付いて行くのか不思議に思っていましたが、私は京都の人たちの「賢い生活」ぶりではないかと思っています。原材料がどこにあるか情報収集する。それをどう加工するか。更にそれをどう発信して行くか。ということで、自分たちの生活は勿論のこと、訪れる旅行者にも京料理なるものを振舞っているのを見まして、「賢い生活者」というキーワードは、これから食文化を定着し広げて行く時に必要なことではないかと、考えています。野矢さんの大根をたまに頂くことがありますけれど、頂いた大根を二ミリくらいの厚さにスライスし、生のカラスミを挟んで食べると極上。これはもう晩秋の野矢大根を一層引き立てゝくれるわけですが、そんな食べ方は京都で普通に根付いています。秋大根ですので召し上がっていただけませんが、いずれかの機会に会員の方には野矢大根をお届けしたいと思っております。

 今の時代をひと言で言いますと、簡単・便利さを優先するあまりに豊かさを捨てゝいるのではないかと思います。何か表層的な甘さ控え目、塩分控え目という向こうで、本当の旨みを捨てゝいるのではないか、という気がいたします。そういう意味で『小田賞』は、いかばかりかでも「賢い生活者」のお手伝いができるような存在になればいいという気持ちです。







当日の様子


具沢山で、色鮮やかな「祭り寿し」。
松本忠子先生のお手製です。

帯広の老舗洋食店「ホーム」さん特製の、
海老が丸ごと入ったブイヤベース。

略式ではありますが、
当日はお茶席も設けられました。


小田賞紹介の冊子「北」は
今年でVOL.8を数えます。
当基金会員の方だけでなく、
希望者にもお送りいたします。


「もっと詳しく知りたい」「ちょっと読んでみたい」
どうぞご連絡くださいませ。
oda-kikin@north.hokkai.net



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